ぶろぐはぶろぐ。

三宮からそごうの看板がなくなった日

 

 

私の父は、私が生まれる前からそごうで働いていた。
小さい頃には、何度も父に会いに母や祖母とそごうに行ったし、そこでいつも照れながら私たちにこっそり手を振る父がなんだかすごく好きだった。

 


私の父は若い頃カメラマンを目指していて、映画の車両部などでバイトをしていたらしい。
松田優作みたいな髪型をして、松田優作みたいなサングラスをつけ、自主映画を撮ってる父の写真や作品を小さな頃から(嫌になるくらい)散々みせてもらった。
そんな父が私にはすごく自慢だったし、作品の良し悪しはおいといて(笑)、今でも当時のカメラを愛おしそうに残している父が素敵だなと思った。

 


そんな父がなぜ三宮そごうで働きだしたか、私は知らない。家族ができたから、かもしれない。
その時、父はどんな気持ちで全然業種の違う百貨店で働き出しただろう。
あんな松田優作かぶれの今で言うサブカルな父親が、接客業なんて上手くやれたんだろうか?と今になってふと思う。それでも、今の今でもしっかりと毎日働いている。

 

 

 

 


私の記憶にある父親は、いつだってそごうでニコニコと働いている父親だった。
北海道の物産展に母親と行ったときは、いつだってチラッと覗きにきてくれたなぁ。
おばあちゃんとも何度もお父さんを覗きに、山側のエスカレーターのぼったなぁ。
お母さんとお父さんが一度だけ本当に離婚してしまうんじゃないか?と思う喧嘩をした日、お父さんの仕事の昼休憩のタイミングで、近くのがんこでとんかつを食べたなぁ。笑


成人式の振袖だって、
友達の出産祝いだって、ぜんぶ三宮そごうだった。

 


そんなに裕福な家庭ではなかったかもしれない。
地震以降辛いこともたくさんあったし、周りを羨ましいと感じたことも正直あった。
でも、父がそごうの早番が終わるのを、母と551やピロシキを買いながら待って、仕事終わりにいつもの場所で合流して、家族みんなで晩ご飯を食べに行く時間が私にはすごく大切だった。


上京してからもそれは変わらない。
震災前も震災後も。
私にはそんな生活が愛おしかったし、そんな時間がすごく幸せで大切な原風景だった。

 

 

 

 


先月帰省したタイミングでそごうに行くと、たくさんの人が思い出を書いた紙が貼られていた。


親にランドセルを買ってもらいました
子供にランドセルを買ってあげました


そごうに習字が飾られました
習字が飾られているのを家族で見にきました。


三宮そごうには、十人十色ひとりずつの思い出がふわふわとたくさんあるんだなぁと思った。
そして。その一つに私の父親との、家族の大切な思い出もあるんだなと思った。

 

 

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(父親から送られてきた写真)

 


お父さん、とりあえずお疲れ様です。
阪急にかわっても、一人一人の思い出がある場所には変わらないと思うので、これからもまた新しい思い出をたくさん一緒に作っていこうね。

始発列車の音がする(1)

 始発の音が聞こえて、あっもうすぐ朝だな。あんまりねれなかったなぁ。と思う日が最近増えた。

 


今日は、普段よりだいぶ早く布団に入ったので夜中にふと目が覚めてしまった。
夜中に目覚めたら、だいたいいつもスマホを触ったり、お腹空いたなぁなんてぼんやり考えたりするが、一番厄介なのが「色々考えてしまうこと」だ。

 

 

今日一日こんなことがあったなぁ。これが楽しかった、これが美味しかった、これがダルかった、これにムカついた。
そんなことを考えていると、余計に目が冴える。
昔のように悩んで、泣いて、悲しくて悔しくて眠れない、、ではないけれど。ぼんやりと色んなことを考えてしまって、寝られなくなるのだ。

そうこうしてると、だいたい始発の音が聞こえてきて、空が明るくなってくる。
明日と肌のためにも寝なければ!!!!!!と本気で焦り出して、スマホを枕の下に隠す。までが最近の日課だ。

 

 

 


多分あれだ。

私はわりに、こんな夜を好きなんだと思う。
「寝れない夜があってもいい」なんて、人生考えたこともなかったけど、無理して眠れないストレスを貯めるくらいなら、翌朝ちょっと眠くても、少し肌に悪くても、夜更かししたっていいもんだ。

 

 

 


今日は夜更かししながら、ぼんやりと地元の友達のことを考えた。
「最近連絡ないから、元気かなおもて」
と幼馴染から嬉しいラインが来て、こんなこと言ってくれる友達おるとか最高かよ、、、と思う反面、しまった!と思った。
失恋した時は寂しくて散々連絡したのに、最近は仕事だなんだ忙しい(ふり)をして、連絡をとれてなかった。こういうとこが本当にダメでダサい。

 

さらに最悪なのが、そんな私なのに、私は友達(その子という意味ではなく)が、ちょっとワガママを言ったり、些細なことですぐにイラッとしてしまうし、なんなん?と思ってしまうようになった気がする。

私の好きな漫画家さんの西村ツチカさんが、「最近自分の失礼さがわかり相手が失礼でも良くなってきました」とツイートしてたけど、
本当に私はバカでバカでバカだなと反省した。

 

 

人に求めてるもん、だいたい自分はなんもできてないよなとずっと考えている。できないことが悪いって言いたいんじゃない。人に求めすぎるな、自分でやろうよ。私の好きな人たちはだいたいそうしてる。

自分に厳しく、人に厳しくなんて、ダサいこともう卒業しよう。
自分にも人にも優しくなりたいな。とくに、友達や家族、身近な人には。

 

 

 


どんどん電車の間隔がふえ、空が明るくなり、今日が始まっていくのを感じる。
九月には少しだけ帰省も出来そう。帰省したら、楽しいことたくさんしよう。そのために、今日も頑張ろうね。おやすみなさい。

 

 

夏の魔物PVのライナーノーツ的なん

「作品に罪はないんじゃないか?」という言葉をここ最近とても目にするようになった。
確かに作品に罪はないよな…、と思う反面、なんだかそれが本当に100点の答えなのかわからず、モヤモヤする気持ちになる。


成田さん率いるTHE 夏の魔物が解散すると知って、あーたくさんPVを撮らせてもらったなぁということをさっき不意に思い出した。
私が初めてまともに予算を出してもらってPVを撮らせてもらったバンドで、一時PVがネットから消えていた時もあったが今日なんとなくみたらPVがまた上がっていて嬉しかった。

私が初めて魔物と縁ができたのは、以前成田さんが活動していたDPGというバンドの「リングの魔物」という曲のPVの撮影現場に行った時だ。
スミスさんが撮った彼らのPVの中でも私は上位に好きなPVだし、予算はあまりなかった気がするけど、いろんな人の情熱で「映像」という形で世の中に掘り出されたのが、少しでも作品に携わった身として嬉しかった。



DPG 「リングの魔物」 PV

※いろんな小ネタ、全部わかんなくていろんな人に質問したな…。というのが1番の印象


最近は現場に行くこともなくなったので、どんな事情で解散してしまったのかは私にはわからないけれど、作品はCDやPVという形で残っている。
バンドにとって楽曲がどんなものか、PVを撮った身として、一人でもまた多くの人にこの映像が届けばいいなぁと思いながらライナーノーツ的に勝手にまとめます。




夏の魔物「どきめきライブ・ラリ」PV

「どきめきライブ・ラリ」
総監督:成田大致(夏の魔物)
監督:熊谷涼花
撮影:八木茂由義

私にとって初めて夏の魔物のPVを撮らせてもらった作品。
まんしゅうきつこ先生(現まんきつ先生)がともかく綺麗で、FU○Kのシーンが最高。
アントンさんのイチゴ柄のパンツ?がでちゃうシーンはもちろんアントンさんのアドリブ。soキュート




夏の魔物「ダーリン no cry!!!」PV

「ダーリン no cry!!!」
総監督:成田大致
監督:熊谷涼花
撮影:工藤 博司(K5)

アニメの「おそまつさん」で十四松が可愛い女の子に恋をする回があった。
離れ離れになる日がわかっていても、彼女を笑かそうとする十四松とアントンさん、なんだか似てる気がする。
アントンさんがチャンまいさんを笑わそうとして、ロビンウィリアムスのあれをするのはもちろんアドリブ。soキュート
どきめき〜でみんなで笑ってた扉のシーンが大好きで、そのシーンで今度は5人で集まってる。ええカット。




夏の魔物「バイバイトレイン」PV

「バイバイトレイン」
総監督:成田大致
監督:熊谷涼花
撮影:二宮ユーキ
大槻ケンヂさん作詞の楽曲、歌詞の世界観が「グミ・チョコレート・パイン」だったので、
夏の魔物なりの「グミ・チョコレート・パイン」で撮影した。
私、めちゃくちゃ制服が好きなんですけどこの5人の制服姿、「こういう子いたー!」って感じでめっちゃ好き。
茉里ちゃんの公立感(確か紐リボンがよくて一緒に撮影の途中にユザワヤ的なところに買いに行った記憶がある)、舞ちゃんの私立感、男性陣の工業高校感。たまらん。
もちろんアントンさんの「なんだ夢か」はアドリブ。はちゃめちゃに面白い。




THE 夏の魔物「僕と君のロックンロール」PV

「僕と君のロックンロール」
監督:熊谷涼花
撮影:二宮ユーキ
「出会いと別れ」的なことをテーマに撮りたいと言われて作った作品。
茉里ちゃんとみずほちゃんの制服姿が国宝レベル…。制服を借りれるお店があるんですが、どうしてもドンキとかに売ってる制服だと本物感が薄く、遠くまで借りに行った制服。
私は基本的に夏の魔物カップリングのPVを撮らせてもらうことが多かったんですが、本人たちが演技をしているだけじゃない「どこかに彼・彼女たちが本当にいそう感」みたいなのが大好きでこの辺からが一番その感じが出ている気がする。
題字は、納品日に慌ててみんなに描いてもらって、一番素敵だったるびいちゃんの文字。




泉茉里(THE 夏の魔物) - 「わたし」PV

「わたし」
監督:熊谷涼花
撮影:二宮ユーキ
美術協力:粂野晴香
泉茉里さんのソロ。あんまこういうこと書いちゃだめかもですが、予算が激なくて成田さんが運転してくれて、最小人数で九十九里まで撮影にいった記憶が。
前日に当時マネージャーだったマリナちゃんと茉里ちゃんが我が家にきてくれて、3人で「ちょっと大人な泉茉里ちゃん」で衣装考えた記憶があります。楽しかった。
部屋を貸してくれたのは、美術部の粂野さん。
私は基本的に字コンテしか書かないんですが、その時書いた部屋のコンテがこれ。

・・・・・・
初めての一人暮らし
ワクワクして買ったまだ新しいSWIMMERの食器
玄関に置かれた大切な白い靴
一人暮らし用の冷蔵庫にはお母さんにもらったレシピが貼ってある 

濡れた髪をドライヤーで乾かす茉里
鏡に映る自分を見つめる

お母さんと選んだ布団のシーツ 寝転ぶ茉里
部屋の壁に貼られたたくさんの写真 
1つ1つにわたしの大切な思い出がある

部屋で一人で寝ている時は、
なんだかいつのもの明るいわたしではいれないな

・・・・・・




【THE 夏の魔物】「シン・魔物BOM-BA-YE ~魂ノ共鳴編~」 MV

「シン・魔物BOM-BA-YE〜魂ノ共鳴編〜」
監督:熊谷涼花
撮影:二宮ユーキ
めちゃくちゃに大変だったからもはや撮った記憶がないんですけど、今みたらまたさらにエモい。
youtubeのコメント欄に「ロックのロの字もない。熱量だけ。」って悪口風に描かれてるの見ましたが、もはやその「熱量」がテーマだったんじゃないかなぁ。
みんな可愛いしかっこいい。




【THE 夏の魔物 】「 RNRッッッ!!!」 MV

「RNRッッッ!!!」
監督:熊谷涼花
撮影:水島英樹
女の子3人だけの楽曲。予算がない時は人力だなって今改めて感じました。
3人の楽屋の定点映像、普段からあんな感じっぽくていいなぁ。笑




THE 夏の魔物「涙。」Music Video -Short Ver-

「涙。」
監督:熊谷涼花
撮影:工藤 博司(K5)・水島英樹
茉里ちゃんにセイジさんが乗り移るって思いついてそれを伝えて即採用になった企画。
成田さんにバンドの一体感を出したいと言われて、演奏シーンはみんなで円を描いて撮った。
サニーデイのTシャツを着て泣いてる茉里ちゃん、めちゃくちゃいいカットだなーと今でも思ってる。
(ヤサグレてみたいなことを企画書に書いたら茉里ちゃんが、毛染め持ってきたのめちゃくちゃおもろかった。よくみるとこのシーン、茉里ちゃん染めてる笑)




【THE 夏の魔物】「魔物BOM-BA-YE ~魂ノ覚醒編~」MV

「魔物BOM-BA-YE〜魂ノ覚醒編〜」
監督:熊谷涼花
撮影:タイコウクニヨシ
既存曲がバンドアレンジになったver。1カット一発撮りでいきたいと言われて、それならば普段ライブカメラマンをしてるタイコウさんが撮ってみたらおもしろいんじゃないかとなって撮った作品。
照明の飯田さんも無理難題を受けながら、かっこいい照明を作ってくれたし私はというと、裏でメイクさんと「絶対いいの撮れてるよー」と言いながら素材を見るのをワクワク楽しみにしてただけでした。笑
みんなを信じる気持ちって大切。





THE 夏の魔物のPVを見てると、どれもいい曲だしどれも彼ららしいPVだなーと思わせてくれて、改めて見直してよかった。

「作品に罪はあるかどうか」それは私にはわからないけれど、少なからずこれらのPVは作り手側にとっても1つの大切な記録だと思ってます。
PVってのはアーティストだけじゃなく、監督・撮影・照明・美術・衣装・メイク・レーベル…etcみんなの熱量が1つになって、音楽を聴いてくれる人たちに届いていくものなんだなと思いました。
解散しちゃったけど、一人でも多くの人にまたこのPVが見てもらえたら、撮影チームは嬉しいです。

すぐに誰かと比べてしまう私へ

 

すぐに誰かと比べてしまう私へ
 

思えば、ずっと誰かと比べてばっかりだったね。
水色のランドセルが似合う、お姉ちゃんのおさがりを着ていたおしゃれなあの子だったり。
自分がずっと片思いしていた男の子が可愛いと言ってたあの子だったり。
自分の元カレに色目を使うクソみたいな女だったり(学生時代)。
「あの子は私と違って細いから」とか、「どうせ私は猫っ毛じゃないから」とか、言葉にしてみるとクソほどにしょうもない事かもしれないけれど、私にとっては1つ1つが自分の嫌なところ。
 

比べるのは身近な人だけじゃない。
好きだった人の会ったこともない昔付き合ってた人だとか、好きな人の好きなアイドルだとか。
比べたって世界が違う他人と自分を比べて、私は何がしたいんだろう。
 
 
 
27歳過ぎた頃には、ほぼ毎日見えない何かと比べてばかりで、自分がわからなくなって友達に泣いて電話したりした。「無いものねだりだよ。」言われた時のこと、今でも覚えてる。
 
29歳過ぎた頃からすっと肩の荷がおりた感覚があって、(それは紛れもなく友達のおかげなんですが)
なんとなく「自分は自分しかいないんだな」とか「私にだって私にしかないいいところがあるんだろうな」とぼんやり思うようになった。
 
 
 
 
それでも今でも月に1回くらい、すぐ誰かと比べてしまう私が出てくる。
 
「なんでこの子は〇〇なのに私はこんなんなんだろう」
 
でもでも、だって、どうせ私なんて…。とお得意の言葉ばかりでて、何度周りの人を呆れさせてきたんだろう。そろそろその癖直さないと、本当にみんな呆れてどっかにいっちゃうよ。
 
 
 
 
もう気づいてるはずだよね。
 
泣いてもよだれ垂れてもエロくても寂しがりでも馬鹿でも目が悪くても
歯並びが悪くても背が小さくても歌が下手でも私は私だって。
諸先輩のように段取りよく生きられなくて、
憧れの友達のようにセンスがピカイチでもなくて、
大好きなバンドのように努力家でも才能もなくって、
あのアイドルのように髪の毛はサラサラでも、コミュ力だってないけれど、
27歳で死ななかったし、志村の死んだ29歳も乗り越えて、今年31歳になる私は、 
これからも毎日やりたいことやって、友達と遊んで、恋して、金を稼いで、
自分のことを自分で育てていくんだよ。
 
 
見えない誰かと比べたって、私はその人にはなれないんだから、
今の自分の友達や、大好きな人が好きでいてくれる私を他人以上に大好きになって、
明日も笑って頑張ろうね。
 
おやすみなさい。
 

2018年12月31日のブログ

冬の朝、家を出ると家の周りがしんとしてる事が多い。

その「しん」としてる空気がすごく好きだ。
夜はあんなに賑やかな、少し汚いけどいつも常連さんで賑わってる居酒屋。
うるさいくらい警告音を鳴らしてくれる家の前の踏切。
夕方には幼稚園の先生達が台車に沢山の子どもを乗せて、踏切の前を通る電車に手を振ってるのに、朝は人っ子一人いない。
私の(あるかないかわかんないレベルの)小さな鼻だけど、ツンとした寒さを伝えてくれる冬の空気感。


半年前まであまり良いイメージのなかった池袋に住むなんて正直1ミリも考えたことなかったし、何より当時付き合ってた人に急に浮気されて「もう帰らない」なんて言われて、その日から別の女の家に住まれる未来なんて全く思ってもみなかった。


今となっては、こういう映像業界なんていうクソみたいな世界で食っていってるような私に、限りなく一生ネタとして話せるようなすべらん話を作ってくれてありがとうと言えるが、やはり4月だか5月だかあの辺の時期はめちゃくちゃ辛かった。
どんなにひどいことをされたとしても、私にとって大切な人だった。確かすごく褒めてくれたし、いつも笑顔でいてくれた。
たまにお互いメンヘラってた時もあったかもしれんが、でも基本的にはいつだって楽しいことをたくさん私に教えてくれて、私に沢山のものを与えてくれた。


でもそれは彼だけじゃない。今まで私と付き合ってくれた人、いや、私の好きな人全員がそうだった。

いつだって彼らの残存が私の横にあり、私の目の前にある。電車に乗っていると、たまに歩道橋から当時好きだった人がぼーっと突っ立ってるような気がして、ハッとさせられる。それは、私の好きな今朝の風景に近いのかもしれない。


今年はたくさんの素敵な仕事に携わらせてもらった。
ある人に「なにがしたい?」と聞かれた時に、「自分の目で耳で聞いたものを映像にしたいです」と答えながら、内心、え!私そんなこと思ってるんだと思った。

長く撮らせてもらっている女の子たちの現場にも、たくさん行かせてもらった。彼女たちにはいつも刺激をもらっていて、彼女たちの成長スピードや信念にいつも「自分を信じること」の大切さを学んだ。
今年から撮らせてもらっているバンドのツアーについていって、「自分」の声で歌で演奏で届けるバンドというものが改めてどんなにカッコよくて無敵で夢を与えてくれるものなのかを学んだ。
そして、素敵な音楽のPVも撮らせてもらった。
またひとつ、たくさんの学びをえて、大きくなれた気がした。


失恋した時も映像を撮る時もいつだって、私の周りには素敵な人が溢れていて、その人たちのおかげで私は一つの形になれている気がした。


私はなにものでもない。
ただのドロドロとしたダラけたカスみたいな人間で、そんな私を人間という形にしてくれるのはいつだって私の周りにいる素敵な人たちだった。


2019年はどんな一年になるんだろう。
2018年以上に楽しいことがたくさんある1年でいたいなって思うし、お世話になった人たちにもっともっとたくさんのものを返せるスーパー最強素敵サイヤ人に、私自身もなりたい。


2018年もたくさんありがとうございました。
30歳になった私はたくさんのものをたくさんの人にお返しできる、そして一緒にいて、なにこいつブスだけど超たっのし〜(アヘ顔ダブルピース)と思われるような人間になりますので、今しばらくお待ちください土下座


そういうふうにできている

最近、好きな人に、「昔付き合ってた人とか、自分をフった人に不幸になってほしいと思う?」ってそれとなく聞いたら、「そんな最低な人間になりたくないわー」と笑いながら言われて、自分の惚れた男はやっぱ最高だなという気持ちと、自分はそんな最低な人間だな、、、という複雑な気持ちになってしまった。

 

 

仕事で岡山・広島にきて、5年以上前遠距離恋愛をしてた頃のことを思い・・・だせなかった。

なにか懐かしい気持ちになること、それと一緒に食べた美味しいものや、店は思い出すのに、

あんなに付き合っていた時にドキドキしていた気持ちや、

手を繋いだ時のあったかさとか、好きだった匂いとか、そういうパーソナルなことが一切思い出せない。

 

人って本当に自分の都合がいいようにできてるんだなぁと広島の街を歩きながら、反省した。

 

 

 

今日、広島のパルコ前を通った時に、

「そう思えばここでエルドレッド(またはミコライオ)見て超興奮したな」という記憶とともに、

「ここで彼氏のことを待ってて、なかなか来なくてブチギレたな・・・」ということを思い出した。

 

確か忘年会とかそういう会社員的には何か忙しいシーズンで、

私は東京(または大阪)から広島まで彼氏に会いに来てたが、多分待ち合わせの時間になっても彼氏が来なかった。事前にそういうイベントだと聞いていたのに、連絡が取れず待ち合わせに来れない彼氏に、「遅くまでお疲れ様」の一言も言わずに、ブチギレまくった。

あぁこれがもう五年以上前だとすると、私はいつだって自分中心だったんだなとパルコの前で苦笑いしてしまった。

 

ホテルに向かって歩いている時に、ちょこちょこといろんなことを思い出した。

この辺のラーメン屋、連れて来てくれたのにずっと怒ってたなぁとか

もはや関係ないが、高校生の頃フラれた彼氏のこと私部活終わるまで待たせてたなぁとか。

以前付き合ってた人が何かを覚えてなかったり失敗したら、すごく怒ったよなあ。とか。

 

 

 

 

人って何もできないよなぁ。

それは恥ずかしいことなんかじゃなく、そういうふうにできている。

それなのに、私は人には求めてばかりで、そのくせ自分はこんな風に都合いいことしか覚えてない。

みんな何者でもないのに、なんで他人にばかり求めてしまうんだか。

 

都合のいいように感謝して、都合のいいように恨んで、

都合のいいことだけ覚えていて、都合の悪いことは忘れちゃって。

 

 

それでも、最近は人にも自分にもどんなものにも優しくしたいなぁと、

毎日忘れないように思っているから、神様、どうか、好きな人と幸せになれますように。

 

 

 

言葉にならない、笑顔をみせてくれよ

15年ぶりに剣道の試合を見に行った。
武道館で見る剣道は本当に「すごい」って言葉しか出てこなくて、
こんなになにも考えずにいれたのは1ヶ月ぶりだった。


高校1年生で味方がおらず、辞めてしまった剣道。
中学の時はあんなにしんどくても大好きだったし、嫌いな奴もいたけど、支えてくれたみんながいたから3年間続けてこれた。高校生になっても当たり前のように剣道を続けたいと思ったし、でもどうしてもダメだった。

ダメになった理由は明確には思い出せないけれど、結局それは部活動の中で好きな人ができてしまったからな気がする。なんで好きになったかも、今となっては顔も声もあまり思い出せない。ただ、初めて剣道場で会った瞬間から「あ、この子のことめっちゃ好きや」と思って、それ以来話ができなくなってしまうレベルに惚れてしまった。

今更考えると絶対に性格もあわなかったし、メールも多分したことがない気がする。目を合わせることも恥ずかしくて、相手も私が惚れてるの気づいてただろうし、だから告白もしてないのにフラれた記憶がうすらある。


一つだけその子のことではっきり覚えているのは、
「美しいものを美しいと思える あなたの心が美しい」
という口にするのも照れてしまう、相田みつを先生の名言を「こういう人間になりたいねん。」と本気で話してたことだ。


その言葉を剣道の試合を見ながら思い出した時、
「あれ?今ならもう一回剣道できるんじゃないかな?」と思った。
あんなに苦痛で辞めた剣道だったけど、大好きだった。
団体競技なのに、戦ってる間は1対1。心技体、なーんで声なんかださなあかんねんと思っていたが、大人になってからは、合理性だけが正しさじゃないということにもなんとなく気づいてきた。
ビデオ判定もない、審判は大体クソジジイ、それでもあのピリピリした数分間の中でアドレナリンを出しまくるような空間が大好きだった。
引っ越ししたら、仕事の合間に何かを始めたいなってなんとなく思っていたので、ちょうどいいなと思えた。
なんとなく、また剣道を始めようと思った。




人生生きてたら言葉にできない思いだらけだ。
無理に言葉にしなくていいよと思う。
好きなもので伝えられればそれでいいって思う。
言葉にならん気持ちは表現で伝えればいいと思う。嘘は良くないけど。なんでもかんでも説明しすぎの世の中にもう疲れたし、正直求めてない。

それでも。
高校時代の好きだった彼が「こういう人間なりたいねん。」って言葉を伝えてくれた時のこと、15年経っても覚えているし、そのおかげでまた、やりたいことをやろうと思えたんだから、言葉にしてくれて本当にありがとうって思ってる。



いつかは忘れる。全部。
でも嘘のない言葉は残るし、嘘のない作品も残る。
(嘘はダメだよ。嘘を嘘だってわかってないことも同罪だよ。都合よく解釈したことはいつかは絶対にバレる)

だから自分は今一人でいるこの期間に、
たくさんの「ありがとう」と、
たくさんの「ごめんね」を。
たくさんの作品と言葉で伝えます。

伝わった時は、また言葉にならない笑顔で私に教えてください。
おやすみなさい。