ぶろぐはぶろぐ。

編集をしていると自分と向き合う時間が多くなる

現場もめちゃくちゃ好きだけど家で作業している時間の方がはるかに長く、その時間はたまに死ぬような気持ちだけど、その時間もわるくないという話


最近特に現場が楽しい。
自分がカメラを回さないような現場(例えばMV)は、この年齢になってやっと好きな仲間と一緒に仕事できる機会が増え、それぞれのプロが集まってこういうレンズを使おう、こういう照明にしよう、こういう演技をしようとか考えてる時間が楽しくないわけがない。
現場毎こういう仕事に憧れて上京したんだなぁといつだって思える。

自分がカメラを回す現場(例えばドキュメンタリー)は、
相変わらず自分は本当にくそだな、忍耐が必要だな…と後悔することも多いけれど、自分の目で見たものをカメラを通して撮影させてもらうということはすごく楽しいし、演者だろうがスタッフだろうがお客さんだろうが、誰だって生きてるだけでドラマが沢山あるんだなと感動させられることばかりだ。


なんていって映像って仕事柄、撮影したものをもう1度見直して編集するわけで、現場の数よりも圧倒的に家や編集所で作業している時間の方が多い。
気がついたら何日もただただPCの前に向き合って、悩んで悩んで、栄養のないご飯を食べて太って体を壊して。パートナーと犬と出会えたおかげで編集期間も人間という形あるものにしてもらうことも増えたが、大体はメタモンみたいにドロドロかその辺の泥みたいに汚い液体みたいなもんだ。
(てか、ずっと思ってたけどyoutubeとかでたまに流れる編集している動画クリエイター?の広告にいつも驚かされる。締め付けの多そうな服を来て化粧をし遅延の多そうなワイヤレスヘッドホンで作業なんて、私だったらストレスで全てのものを破壊してしまいそう)


愚痴を言いたいんじゃなかった、それでも編集していると
この画すごく綺麗だなとか、ここの繋ぎめっちゃ心がぎゅってなるなぁ、この時映っている人はどういう気持ちだったのかな?とか、撮っている時とまた違う感覚で楽しめるからそういう時間がめちゃくちゃ楽しい。(ずっと死ぬほど孤独だけど)


昔私のお世話になってた方が「撮影している時と編集している時、それぞれ別の監督が心の中にいると思った方がいい」と言ってた。
何十時間も何十カットも撮ったものを、限られた中に納めなければいけないのは難しいし、これが一番最善なのかなと考えだすと、自信がなくなって消えたくなるけど、結局最後は自分の信じたものを貫くしかないと思う。



あと何年自分がこの世界から必要とされるか、この仕事でお金を稼げるのかはわからないけれど、
自分が「作り続けたい」と思う限りは目の前のことにしっかり向き合ってやっていきたい。


たまに孤独で潰されそうになる。(メンタルがヘラってるわけではない。もっと遠くで近くの自分を見てるような気持ち…意味わからんな)
でも今、私にできることは楽しい気持ちでやるしかないってこと。
(とは言っても仲間はいつだって欲しいので、
映像の仕事したいな、デザインで映像に関わりたいな、編集で映像に関わりたいな、撮影で映像に関わりたいな…などこういう仕事に興味ある人はいつだってフッ軽に連絡ください。08kuma.kuma17@gmail.com  作品集はtwitterへ)