ぶろぐはぶろぐ。

今年ももう終わる

編集するデータが一向にこないので、PCを整理してると2023年1月のメモが出てきた。
このメモの時より1年経って振り返ると、すごく人に助けてもらい、気持ち面で成長できた1年だったなあ。



以下2023年1月のメモ


パートナーに「他人の弱さも含めて愛してあげようよ。」と何かを愚痴った時に言われた言葉を不意に思い出した。
言われた時は、「ん?」という感じだったが、自分が参って悲しくて仕方ない今わかった気がする。そういうことか。

失敗しちゃダメだとか、泣いちゃダメだなとか幼少期から思いすぎて、辛い時も泣くもんか!失敗しちゃダメだ成功しなきゃと自分で自分を鼓舞してきた。

とかカッコつけたこといって振り返ると失敗したり泣いたりしたことばかり記憶に残ってきた。

ピアノの発表会嫌いなやつの前でミスってださかった、彼氏に振られて泣きながら「死ぬ」と垂水駅で脅したのもダサかった(今でもその時のこと思い出して垂水駅直視できん)、お父さんに「泣くのはずるいよ…」と感情的になって泣いてる私に、ため息つかれながら言われたのも今になってみれば確かにずるい部分もおおかった、上京してから撮影の時、勝手にみんなに裏切られたような気分になって地団駄踏んで泣いたりしたのももうその人たちに会いたくないレベルにダサい、ダサい自分が嫌で嫌で仕方なかった。



今自分がいる世界は1人じゃ生きていけないから、たくさんの人と接するけれど、三十歳過ぎてから時々厳しいことを他人に思ってしまうこともある。
(冷静に考えるとその人がミスったからどうとかじゃなくて、「自分に余裕がないから」キレてしまってんだなと思う。クソダサボケ)
それの何かしらかの愚痴を連日こぼしてた時にパートナーに言われたんだ。たしか。「他人の弱さを含めて愛してあげようよ」って。



弱さを愛するってなんだ?とおもったし、いや優しいほうだよ?とも思った。
でも今自分がしんどい辛いって時に、なぜか「お前が普通で才能ないからだろ」とか脳みそが罵詈雑言であふれて、どうしても自分を肯定してあげられない。
「おいお前間違えてないぞ!!大丈夫!!!最高!」と誰も心の中で自分を応援してない自分の存在に気づいた。
そこに気づいて初めて私は「弱さ=失敗」と思っていたこと、失敗が怖いことに気づいた。

結局、弱い自分に向き合うことが怖かったんだなと思った。

「他人の失敗を許せない」なんて自分が一番なりたくない自分なのに。
あぁ、なりたい自分になりたいな。かっこいい自分でいたい。
他人だとか自分だとか関係なく弱い部分も否定せずに肯定したい。
だってめっちゃ頑張ってることだけは絶対ゆるがない事実だと思ってる、私も当時否定してしまった誰かも覚えてない人も。




自分も他人も肯定するって難しい、犬にならできるのにな。犬のことずっと褒めてるのにな。いいこいいこって。だって本当にいい子だから。
オチも何もないけど、今この瞬間の気持ちを残したくてメモ。いつか見返した時に、こんな自分もいたな、がははとなれる日がくるんだろうか。
今まで否定してきた自分の中の自分、ごめんね。努力は報われるはず。2023年1月の私より。