ぶろぐはぶろぐ。

憧れの街が大嫌いになったあの日

憧れの街が大嫌いになったあの日から、
マジクソが死ねよボケと毎日思っている。



「うるさい街に住みたいんです」と不動産屋さんにいったら、今まで何も言わなかった不動産屋さんが急に「映像の仕事を本当にちゃんとやりたいんだったら、穏やかな街に住んだ方がいいです。家で仕事をするんだからなおさらです。」と瞬き一つせずに言われた。
その人は出戻りで中野に戻ってきたと言っていたけど、待ち受け画面がクソほど可愛い赤ちゃんの写真で、私は不動産屋さんの車の中で何も言えなかった。




何年か前にPVの撮影場所を探していて、自転車で夜の東京をかけ巡ったことがある。その時も確か泣いていた。自分の手を抜いた部分や、自分の考えが浅はかった部分を的確に指摘されて、尊敬する人にため息をつかれた。バカな私はそのタイミングで初めて自分のやったことの愚かさや不真面目さに気づき、ママチャリでよくわからないけど中野通りや甲州街道、山手通りとかをロケ場所さがして爆走しまくった。



「(探しているような都合のいい場所)んな場所あるわけねーよ」と半泣きになった時、目の前に急に現れたのが高円寺陸橋だった。

「あっ」と声に出した時のあの景色、今でも覚えてる。

その時誰かにもらった「いいね」は、なんだか東京でも自分を応援してくれてる人がこうやっているんだなって思えてとても嬉しかった。たかだか「いいね」かもしれないが、私にとっては大切な「いいね」だった。


ちなみに結局いいロケ場所は見つからず、いつもの場所であの日の私と同じようなチャリを爆走するシーンを撮った。私はそのカットが今でも大好きだし、いつかヤンキーみたいなチャリで爆裂都市を爆走するシーンを私なりのアレンジで撮りたいとおもった。


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背負っていくべきものがある。それは絶対に忘れちゃいけない。
五年前よりもみんなのおかげで好きな音楽も増えたし、好きな映画も増えた。
今までは人に教えてもらったものを好きになってもそれは意味がないことでは?と思っていたが、
今日友達に「影響を受けて知ったことや吸収したことがあってもいいんじゃない?」と言われて、すっと肩の荷がおりた気がした。



大好きな山内マリコ先生の本「さみしくなったら名前を呼んで」に書いていた言葉と、今日友達に言われた言葉といろんな言葉がぐるぐるして、新幹線の中で放心状態のままブログを書いてる。
でもどうしても今日という日を忘れたくなくて、こうやって文章にしてる。




いつかは全部忘れてしまう。

やってしまった
できなかった
絶対大丈夫だよの呪文を唱えてあげられなかった
自転車で泣いた
楽しかった
辛かった
おもしろかった
怒った
恨んだ
嫌いになった
好きになった


それでも忘れたくないからこうやってブログにかく。
何年後、いや何ヶ月後かの私がちゃんとこの時の気持ちを映像で表現できていますように。



大好きな山内マリコ先生の文章でしめます。




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あたしはいつになったら自分が思い描く女の子になれるんだろう。
いつになったら完成するんだろう。
それまでに、あとどのくらいの時間がかかるんだろう。

(中略)

気が遠くなりそうな膨大な時間と、無駄打ちだらけの破れかぶれな経験。
そういったものの果てにあたしはちゃんと、
自分で自分に及第点を出せるような人間になれるんだろうか

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