ぶろぐはぶろぐ。

whiteberryが好きだった頃の話

大学でサークルが一緒だった子の結婚式で神戸に帰省している。

私の育った神戸という街は案外田舎で、一番都会と言われる「三ノ宮」はものすごく山の手だし、ちょっと街をあるくと「OPAしかないやん」という気持ちになる。


そんな三ノ宮でも私にとっては、とっても大都会で大学生になりたての頃、高槻からの帰り道、三ノ宮についてはよく泣いていた。(人混みが怖かった)
あの頃の私は、今東京に住んでるなんて知ったらどんな顔するだろう。
新宿という人混みをかき分けて、
渋谷までチャリで行ったりするんだぜって知ったら、
三ノ宮で泣いてばかりいた私は驚くんだろうな。



小学生の頃は地元の駅ビルに行くのにも親の許可が必要だった。
皆は門限6時なのに、私はいつまでも5時だった。
皆はプリクラを撮りにいっても怒られないのに、
私はお母さんの許可が必要だった。


お母さんに嘘をついて、駅ビルに友達といった時、そういう時に限ってなぜかお母さんに会う。プリクラ撮れるからって、ベティーズブルーの服をきて「オシャレ」したのに、お母さんに怒られて友達の前でギャン泣きする私はダサかったな。




私はいつまでたっても自転車が乗れなかった。
友達が自転車で迎えに来てくれても、いつも公園まで私は駆け足。
のろまだから、友達は先に行っては止まり、先に行っては止まり。
一輪車にだって乗れなかった。

それでも、「カードキャプターさくら」にあこがれて、祖父にかってもらったローラーブレードだけは誰よりも大切につかった。





今日新幹線で新神戸におりた時、夜の三ノ宮を見るとなんだかとっても
ちっぽけに見えた。

あの頃はあんなに大きく感じたのに。
父の車で走る神戸の街が、なんだかとてもしょぼく見えて当時はあんなにキラキラ光って見えたのに、私が今生きたい場所はここじゃないんだなって思えてなんだか切なくなった。


幼なじみに、「中学生の頃は楽しかった」とメールをした。
幼なじみから「そりゃそうだよ。」と返ってきた。



あの頃はもう返ってこない。
でもローラーブレードを買ってもらった時のことも、
友達とプリクラを撮った日のことも、
キラキラした町並みも、
大好きなベティーズブルーの服も
大きく感じた地元の駅も、いつでもすぐそばにいる気がする。




あの頃が一番だなんて思わない人生を、
東京で過ごしたい。